今年4月にアプリ累計ダウンロード数8,500万を記録した民放公式テレビ配信サービス「TVer」。2015年10月にサービス開始し、現在では月間ユーザー数4,120万MUB※1、月間再生数4億9,600万※2、配信番組数2,100以上※3と、順調に拡大を続けています。
そのTVerに立ち上げから参画し、約10年間、その成長をリードし続けた株式会社TVer 常務取締役COOの蜷川新治郎氏(取材時。2025年6月30日退任、現・株式会社テレビ東京ホールディングス 執行役員コンテンツ統括補佐)に、現在のTVerを形作った企画とターニングポイント、テレビ業界全体を視野に入れた世界観や仕事論など、様々なお話を伺いました。
前編となる今回は、現在のTVerの礎となった「企画書」、そして、それを生み出した蜷川氏の人物像に迫ります。(取材・執筆/河崎環)
※1 2025年1月/※2 2024年12月/※3 2025年4-6月
テレビ業界デジタル化の最重要プレイヤーTVerは「違法動画配信への対抗策」として始まった
「TVer(※画面はイメージです)」左:スマートフォン(アプリ)/右上:Web/右下:コネクテッドTV(CTV)
「つかまるよ、マジで」。
強烈な印象を記憶に残す、あのフレーズ。「違法だよ! あげるくん」※1というアニメの体裁で制作された日本民間放送連盟によるシリーズCMは、放送番組の違法アップロードに対する警告・啓発目的で2019年からキャンペーンを開始した。テレビCMや動画共有サービスの広告として流れていたが、そういえば最近、このフレーズをめっきり耳にすることがなくなったのではないだろうか。
その大きな理由のひとつは、この5年で民放公式テレビ配信サービス「TVer(ティーバー)」が目覚ましく成長して広く存在を知られ、日本のテレビ番組の違法アップロードをするユーザーの動機が薄れたこと。公式に合法かつ高品質の動画が完全無料で配信されるのであれば、違法アップロードにはうまみが少ない。TVerは、まさに違法動画配信の防止・対抗策として活躍を期待され、発展を加速した側面を持つ。
そのTVerが、今年4月に大きな節目を迎えた。スマートフォン・タブレット、コネクテッドTVを合わせた累計アプリダウンロード数が8,500万を突破したと発表されたのだ※2。
※1 日本民間放送連盟「放送番組の違法配信撲滅キャンペーン」
※2 【TVer】累計アプリダウンロード数8,500万ダウンロードを突破
立役者はサービスの成長を噛みしめ、前進を続けるTVerは次のフェーズへ
現在、株式会社テレビ東京ホールディングス 執行役員コンテンツ統括補佐の蜷川新治郎氏(取材時は株式会社TVer 常務取締役COOとしてTVer事業を統括)
1億2400万人弱の人口規模である日本国内で、8,500万ダウンロードを達成。関係者が沸く中、この数をひときわ大きな充実感と共に噛みしめたのが、今年6月末でTVer常務取締役COOを退任した蜷川新治郎氏だ。現在は古巣であるテレビ東京の執行役員としてコンテンツ統括補佐を務める。
TVerの事業戦略およびサービス企画開発の責任者。テレビ関係者には“ミスターTVer”とも目される、TVer成功の立役者の筆頭である蜷川氏がテレ東へ戻るとのニュースは、これまでのTVerが十分以上に満足のいく成果を収め、組織やサービスとして次のフェーズへ前進することを示唆している。
日本最大級の完全無料動画配信プラットフォームとして成長し、現在はテレビ業界のデジタル化の中核を担う最重要プレイヤーであるTVer。いまや多くのユーザーがその存在を認識し「日本のテレビ番組を無料で見られる」と日常的に利用しているが、その道のりは決して平坦ではなかった。
なぜか。日本の民放テレビ業界は、ひとつにまとめるにはあまりにも大きすぎたからだ。
ターニングポイントは2019年のゴールデンウィーク、“テレビの再定義”を企画書に

蜷川氏は振り返る。「僕にとって、ターニングポイントは2019年のゴールデンウィーク。親戚の別荘を借りて籠り、当時TVerプロジェクトのリーダーであった龍宝正峰氏(現TBSテレビ社長)を中心に僕たちが議論してきた“テレビの再定義”を込めた企画書を書いた。そこから翌2020年の株式会社TVerとしての法人化に至りました」
会社としては、2006年に大手広告代理店である電通の主導で在京民放キー局5社(日本テレビ、テレビ朝日、TBSテレビ、テレビ東京、フジテレビ)と大手広告代理店3社(博報堂DYメディアパートナーズ、ADK、東急エージェンシー)が参加する形で各社が人材を出し、前身である株式会社プレゼントキャストとして2015年からTVerサービスを開始していた。
蜷川氏はテレ東代表としてプロジェクト立ち上げから参画。2020年までの5、6年間は「合議制のプロジェクトの一員」として現場と全体マネジメントを担当し、当時の放送業界全体を覆う、デジタル化に取り残されていく危機感と向き合ってきた。
視聴率という数字を評価基準とし、60年の歴史を紡いで発展していた放送業界には、それぞれのプレイヤーに強固な自負や文化風土が確立し、放送局間に熾烈なライバル意識があるのは否めない。NHKや民放各局独自の見逃し・配信プラットフォームアプリが林立する中、TVerは「(完全な形ではないが)民放各局を横断的に見られる」と、一定のプレゼンスを発揮するところまでは成長していた。
しかし、民放各局代表の合議制は「予算はあるんだが、最大公約数的になる。話し合いが進むほどプロジェクトの棘が折れていく、典型的な部分があった」。各局持ち合いの組織から脱皮し、TVer社が自立してレベニュー(収益)を模索していく形へ持ち込む必要がある。蜷川氏には焦燥感があった。
「たった100万ダウンロード達成のあたりで『もうここでやめておいた方がいいんじゃない? これ以上行っても、成功も大きいけど失敗も大きくなるから怖くないか?』という漠然とした空気が社内や業界に生まれたことがあった。でも数としてはまだ全然で、このペースじゃ放送もTVerも両方大したことのないまま、間(はざま)に落ちてしまう。一方で放送がヘタるのをTVerが補わなければいけないのに、誰も責任を取らないまま放送がヘタるのが加速するだけ、本当にそれでいいのかと」
「スマホというエンタメ端末」の登場で見えた、テレビ番組の時間と場所からの“開放”

いわば“TVer 2.0期”の直前にあったバックストーリー。リスクを恐れてリターンを諦めようとする、もしかすると日本のビジネス界が広く罹患する病でもある。けれど、蜷川氏には信条という以前に、どこか現代人として当たり前に感じてきたデジタルメディアのこれからが見えていた。
デジタル技術を使って、テレビ制作者たちが一生懸命に作った放送番組を場所や時間から“開放”し、コンテンツを身近に自由に楽しむ機会を視聴者へオンデマンドで提供する。そのためには全国の放送局からフラットに番組を出してもらえる環境を整えねばならない。それはこの時代に望まれている“当然のこと”だ、と。
「2010年代、スマホというエンタメ端末があっという間に一般化したのに、そこにコンテンツを出し渋る放送業界は確実にダメになってしまう。だから僕らは、視聴者が好きな番組を保存できて、好きな場所と時間で取り出して楽しめる利便性高い“ハードドライブ”をクラウドに作り、視聴機会を最大化し、広告主からいただいたレベニュー(収益)を制作者に最大限お戻しする。そのためにはコンテンツ数がもっと必要で、たくさんのテレビ局を巻き込み、規模を広げていかなきゃならない。そう信じて、じわりじわりと小さな成功例を作り、既成事実をコツコツ積み重ねて行きました」
蜷川氏が書き上げた企画書は、テレビ各局社長の前でのプレゼンへこぎ着ける。
2020年6月30日。株主総会、取締役会での決議をもって、在京民放キー局5社に対する第三者割当増資を実施して資本金を増強するとともに、2020年7月1日より株式会社TVerへの名称変更を実施した。
蜷川氏は経験に磨かれたビジネスマンらしい柔らかさで、こう付け加えた。「やっと第一歩を踏み出した、という感想でした。成功できる確信があったわけではないです。僕は主張はするけど、戦うタイプではないので(笑)。ヤダって言われた人には、その手前のどこまで行けるか、やってみるんですよね」
理系エンジニア出身新聞社社員、テレビにハマる

そんな蜷川氏のファーストキャリアは、意外にもテレビ畑ではなく新聞社の理系エンジニアだった。日本経済新聞社の1994年入社組。「当時の日経は初めの1年間まるまる、研修期間なんですよ。紙面を組むのも印刷も、なんでもやらせてもらえる。ところが日経新聞がインターネットで英字サービスを始めるとなって、誰かいないかと研修半ばで引っこ抜かれました。大学でUNIXをやっていたのもあって……。翌1995年がインターネット元年という時代で、技術的な先行例があるわけでもなく、自分たちで考えながら結構必死にやってました」
するとADSL元年と呼ばれた2001年、日経の子会社であったテレビ東京がブロードバンド事業を始め、「20代のメンバーがほしいと言われて」出向。その後、日経電子版の開発が始まるタイミングで日経へ戻ったものの、「一度エンタメに行ったら、エンタメが面白くなっちゃって」。
だが子会社であるテレビ局へ直接転職するのは、当時の社内不文律でNG。「いったん日経を退職して、3カ月浪人して、子会社のテレビ東京に契約社員の形で入社しました」。そうまでしてでも、エンタメに魅せられてしまっていた。「インターネット周りを初期で立ち上げるような仕事をずっとやってきましたね。既にある仕事へ新人で入ってトンマナを教えていただいて、というのではなくて、自分が新しいことを提案してやっていくことばかり」
そんな蜷川氏の“仕事の流儀”は「時代やユーザーに抗わない、ということだけが哲学です」。例えばTVerの前身サービスの立ち上げ当時、ネットは違法コンテンツに溢れ、海賊版サイトが社会問題となっていた。
「画面をそのままビデオで撮ってサイトに上げている。もちろん権利問題はあるけれど、当時のテレビ業界がやっていた(放送時間に忠実かつテレビ画面での視聴にこだわる)ことって、完全に時代に抗ってるな、むしろああやってネットで自由に番組を見るのが当たり前なんじゃないかなと。ネットにコンテンツを流さなかったら、ここのお客さんは一生番組と出会わない。でもそもそもテレビって、マスリーチができるという意味でマスコミなんじゃないの? そのマスを失っちゃっていいのかな、と疑問だった」
ケシカラン、と頭から否定的に規制するのではなく、「世の中の動きについていって、ギャップを埋めていく」。ネットで見たい人たちがいるのなら、公式に合法に見られる環境をこちらから整えたほうがいい、という世界観。いわゆるインターネット元年前夜の入社組であったこと、ネットの胎動とマスコミ業界でのキャリア開始が同時期に起きていたというタイミングが、ネットとエンタメの両方に理解と愛情を持つ蜷川氏を特異な人材へと導いたのは間違いない。
⇒蜷川氏自身が「空振りした」と明かすアプリリニューアルの失敗とそこからの再起、さらに、いまや国民的サービスとなったTVerのビジネススキームによって生み出された新たな世界、そして蜷川氏自身の仕事論まで語り尽くしていただいたインタビューの後編は、7月23日(水)公開です。